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2010.08.25 (Wed)

Un'aura amorosa - W.A.MOZART Tenor - Naohiro Tatsumi



YOUTUBE公開第6弾に、モーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」から第1幕のテノールアリアの名曲"Un'aura amorosa"を取り上げました。
ただyoutubeに上げる時にファイルが圧縮されるんですが、その際にどうしてもノイズが乗ってしまって、お聴き苦しい点があります。
ご視聴される方は予めご了承ください。

なお、いつもの通り、動画なしの高音質バージョンも制作しましたのでよければそちらもどうぞ♪

【音源のみ】
http://d1013408.hosting-sv.jp/asx/Unaura.asx



モーツァルト33歳、1789年の作品。
フェルランドとグリエルモの若い青年士官二人が、老哲学者であるドン・アルフォンゾと話し込んでいるところからお芝居はスタート。
話の内容は「女性の移り気」について。

フェルランドとグリエルモには愛する彼女がおり、それぞれが「ぼくの彼女は貞節だ!」と言い張る。
けれどアルフォンゾは「いやいや、女なんてものは皆、移り気なもんだ」と譲らない。
怒った二人は「それならば【女は移り気】だという証拠を見せてみろよ!」とアルフォンゾにけしかける。

ならば賭けよう!とアルフォンゾ。
こうして二人はまる一日はアルフォンゾの指示通りに動くという条件で、賭けに乗ることに。

フェルランドとグリエルモは急遽、戦に出立するふりをして変装し、それぞれ彼女の元へ戻ってくる。
そしてフェルランドはグリエルモの彼女フィオルデリージを、グリエルモはフェルランドの彼女ドラベッラを口説く。

最初のうちは頑なに拒絶してした二人だが、次第に心を開き、ついには戦に出ている恋人のことを忘れ、それぞれの彼氏が変装をしていることに気が付かないまま、異国の男に恋をしてしまう。
変装を取って正体を見せ怒るフェルランドとグリエルモ、ほくそ笑むアルフォンゾ。

涙ながらに詫びるフィオルデリージとドラベッラ。
それを同時にこの計画の首謀者、アルフォンゾに「だましたのね!」と激しく詰め寄る。

「まぁまぁお嬢さん方、だましたのは悪かったが、これはあなた方をより利口にするためにやったこと。さあ、あなた方は今目の前にいる愛しい人の花嫁さ」とまとめあげ、幕。

このアリアはそうしたお芝居の中、1幕の最後でフェルランドが歌うもの。
変装をして口説いてはみたものの、一向に心代わりする様子のない恋人を見て、やはりぼくらの恋人の息吹は心に安らぎを与えてくれる、と愛しい人の変わらぬ愛を確信して歌うもの。

もっとも、ほどなくして彼女はさくっと心変わりしてしまうのだけれども・・・。
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04:30  |  音楽倉庫  |  EDIT  |  Top↑

2010.07.25 (Sun)

Nessun dorma - G.Puccini Tenor - Naohiro Tatsumi 誰も寝てはならぬ!テノール/辰巳直弘

字幕つき拙演、第4弾には「誰も寝てはならぬ」を取り上げました。
youtubeへの公開にあわせて、伴奏をピアノ版からフルオーケストラ版へ、また歌も再度レコーディングしなおしました。

なお、より高音質でお聴きになりたい方に向けて、従来通り音源のみもご用意しましたので、よければそちらもどうぞ。

【高音質版】
http://d1013408.hosting-sv.jp/asx/Nessun_dormam.asx



荒川静香さんのトリノ金メダルですっかりお馴染みになったテノールアリアの名曲中の名曲。
ぼくが高校時代、ピアノ科から声楽科に転科して間もなくの時、初めて買った声楽のCDがパヴァロッティのベストアルバムだったんですね。
初めて聴いたときの衝撃は今でもよく覚えてる。
パヴァロッティの声もさることながら「世の中にこんなドラマティックな音楽があるんだ!」っていう驚き。
そして「勝利するのだ!」という輝かしいフレーズに、興奮し、勇気付けられたこと。

ぼくたちは日々生きていく中で、様々な困難や壁に遭遇するけれど、この曲に触れた人が一人でもそうした困難に打ち勝ってくれればいいなとの想いを込めて、丁寧に歌いました。

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プッチーニ65歳、12作目のオペラにして絶筆となった最後の作品。
伝説時代の中国、北京を舞台とした非常に大規模なオペラ。

皇女トゥーランドット姫は絶世の美女であるが、自分に求婚してくる男に三つの謎を与え、男がそれを解けなければ首を刎ねるという掟を守っており、これまでにあまたの男がその犠牲となってきた。
そこへ異国の王子カラフが登場し、トゥーランドット姫の美しさに瞬時に心を奪われてしまう。
カラフは周囲が止めるのも聞かずに、謎解きに挑む合図であるドラを打ち鳴らしてしまう。

謎解きを見物しようと群がる群衆の中で、カラフは勇敢にも見事三つの謎を解きトゥーランドット姫に求婚する。
しかし姫はこれを拒絶し父親である皇帝に「結婚などしたくない」と懇願するが、「掟は掟」と一蹴される。
それを見たカラフはある決意を固める。

「それならば今度は私がたった一つの謎を出そう。私の名前は誰も知らない。夜明けまでに私の名前を言い当てることができれば、私は潔く死のう。」

それを受けてトゥーランドット姫は「今夜は誰も寝てはならぬ!あやつの名前を解き明かすことができないときは住民は皆処刑する!」と北京中に触れを出す。
それを聞いたカラフは「姫も今夜は眠れぬ夜を過ごすに違いない。夜明けには勝利は我が手に!」と高らかに本アリアを歌う。
08:34  |  音楽倉庫  |  EDIT  |  Top↑

2009.05.17 (Sun)

英雄ポロネーズ/F.ショパン

ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
F.F.ショパン ピアノ・制作/辰巳直弘


試聴URL
http://d1013408.hosting-sv.jp/asx/ch-polo6-eiyu_t.asx

1842年、ショパン32歳の時の作品で、翌年に出版。

生涯にわたり病弱で内向的であったショパンではあるが、1838年より同棲を始めていた恋人で人気女流作家ジョルジョ・サンドの存在もあり、この時期は精神的にも経済的にももっとも安定していた。
このポロネーズの他にもバラードの4番やスケルツォの4番などの大曲が次々を生み出されたことを見ても、ショパン全作品中でも類を見ない華やかさと生気溢れる壮大なポロネーズが生まれた背景に精神的な充実があったことは疑いの余地がない。

「英雄」と呼ばれるこのポロネーズ、一般的な人気はもちろんのこと、ショパンを扱ったピアニストのリサイタルでも必ずと言って良いほどプログラムに挙がり、技術的、芸術的側面でもショパンのピアニズムを存分に散りばめた代表作となっている。

ポロネーズ(polonaise)とはフランス語で「ポーランド風」と意で、もとはポーランド王宮での貴族の行進から民族舞踊へと発展を遂げたものであるが、後にヨーロッパ各地の王宮で取り入れられ、フランスの王宮よりポロネーズの名が広まっていった。
ショパン以前にもコズウォフスキ(Jozef Kosłowski1757年-1831年)やオギニスキ(Michał Ogiński 1765年-1833年)ら、ポーランド人作曲家が民族的なポロネーズを作曲しており、これらはショパンに大きな影響を与えた。

ポロネーズの特徴はそのリズムにあり、荘重な4分の3拍子を基本として、その第1拍目に16分音符を置く基本形「タン・タタ・タッ・タッ・タッ・タッ」が用いられる。

ショパンは生涯で18曲のポロネーズを作曲しており、そのうち、ピアノと管弦楽用の作品「アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」と、ピアノとチェロのための室内楽曲「序奏と華麗なるポロネーズ」を除く16曲がピアノ独奏用の作品として今日知られているが、ショパンの生前に出版されたものはこのうちの7曲であり、現在1番から7番まで番号が与えられているものそれにあたる。
その以外の9曲については少年時代の習作であり「11番ト短調」のポロネーズに至っては、何と7歳での作品である。
ショパンの全作品中もっと初め書かれたとされる作品がポロネーズであったことを見ても、ショパンがいかにこの形式を身近に感じ愛していたかが伺える。

                   ◆  ◆  ◆

重厚で長い序奏の後に奏される第1主題はまさに華やかの一言で、CMなどでも頻繁に使用されていたこともあって、誰しもが必ず一度は耳にしたことがあるのではなかろうか。

しかしながら本ポロネーズの聴き所は何と言っても中間部のトリオで、左手に現れるオクターブの高速連打をいかに扱うか、ピアノ弾きとしての技術が問われる部分でもある。
トリオの演奏にあたってはとにかく「脱力」と「スナップ」が求められる。
力を入れて弾けばいくらでも速く奏することはできるが、そうなると3小節のインターバルを挟んだ後の繰り返し部分で、ほぼ間違いなく体力が尽きてしまう。
ポイントは一拍目のE音(ミ)を打鍵する際に十分に脱力し、手首のスナップを利用しながら「ぽんっ」とはじく感覚で弾き、後のDis-Cis-Hの3音を滑らすようにかすめて弾くことが重要になる。
最初は後ろ3音の音が抜けてしまうが、それを避けるために力を入れて押し込むことはあまりお薦めできない。
何度も脱力とスナップ、滑り、回転を研究しながらちょうど良い圧力の加え方を探していくことが肝要である。
それとE-dur(ホ長調)の連打が終わっても、幾分の余力を残しておくよう配分しなければならない。

一転してDis-durの連打部分、左手の回転が「左周り」から「右周り」へと変わることと、音の配列上、黒鍵から白鍵への狭い部分を通らなければならないため、前述部分よりも遥かに脱力とスナップが効かせにくい。
ここは腹をくくって、前述部で残した余力をすべて使い果たすつもりで一気呵成に弾き飛ばす感覚で弾くことになる。
ぎりぎりでも体力が持てば、その後の3小節間のインターバル、そして続く2小節間の連打を左右の手に分割することで十分に体力の回復が望める。

それでも、ここへ来てすでに腕が疲れてしまっている場合は、左手の下降連打をレガート寄りに奏し休ませながら、右手のみにスタッカートを与えるなどして工夫して欲しい。
このトリオがなんとかやり過ごせれば、この大曲ももう弾けたも同然ですし、この曲に挑戦される方はなんとか頑張って欲しいものです。
21:53  |  音楽倉庫  |  EDIT  |  Top↑

2009.05.03 (Sun)

G線上のアリア(ピアノ編曲版)/J.S.バッハ

G線上のアリア(管弦楽組曲第3番より)/J.S.バッハ
ピアノ編曲版 ピアノ/辰巳直弘

http://piano.adam.ne.jp/asx/ba-air.asx




「G線上のアリア」という愛称と共に、コンサートのアンコールやヒーリング系CDなどで非常によく取り上げられる珠玉の美しさを持つ曲で、絶妙な旋律線の織り成す和声の移ろいが白眉。

元は全5曲からなる管弦楽組曲第3番(BWV1068)の第2曲目で、本来は弦楽合奏と通奏低音(チェンバロ)によって演奏される。

ドイツの大ヴァイオリニスト、ヴィルヘルミ・アウグスト(Augst Wilhelmi 1845-1908)が、この曲を原調のニ長調からハ長調に移調した際、ヴァイオリンのG線(一番低い弦)だけで演奏できることに気付き、以後その編曲と共に「G線上のアリア」と呼ばれるようになった。

一般的には「アリア」(Aria、歌)」とイタリア式に呼ばれているが、バッハ自身はフランス風に「エール」(Air)というタイトルを付けている。
原曲はオーボエ2、トランペット3、ティンパニ1を含む華やかな編成であるが、この「エール」のみそれら管打楽器を除いた形で演奏され、組曲中でもこの部分だけが、まさに詩のない歌といった独特の雰囲気が漂う。
05:53  |  音楽倉庫  |  EDIT  |  Top↑

2009.05.02 (Sat)

主よ、人の望みの喜びよ/J.Sバッハ

主よ、人の望みの喜びよ(カンタータ147番より)/J.S.バッハ
Jesu,Joy of Man's Desiring(Chorale from Cantata No.147)
J.S.Bach
編曲/マイラ=ヘス 制作/辰巳直弘


http://piano.adam.ne.jp/asx/ba-syu.asx



器楽曲にしても声楽曲にしてもそうだけど、僕らクラシック音楽に携わる人間にとって、バッハの音楽ほど扱いにくいものはない。
演奏や再現にあたって幾度となく推敲させられるし、楽器も記譜法も十分に発達していかなったこの時代に、彼が何を考え、どんな音を求めたのかを、350年を経た現代に蘇らすのは非常に難しい。
けれど、もしかするとその根本が間違っているかもしれないわけで、例えば作曲家という立場で言えば、その時創った音より、もっと表現の幅が広がるのであれば、そうして欲しいとぼくは思う。

ベートーヴェンが新しい性能のピアノを贈られて、水を得た魚のように次々と柔軟によりドラマティックな作品を生み出していったことを見ても、作曲家自身がチェンバロやハープシコード、または粗末な楽器で生み出した音を、そのまま現代のピアノで再現して欲しいとは思っていないかもしれない。

極端に言えば、モーツァルトのソナタの中に時折顔を見せるオンリーワンフォルテの記号も、モーツァルトがもし現代のピアノでその曲を弾いたならフォルテッシモと書き入れた可能性だってある。
時代の音を忠実に再現するのか、またはそこに現代の楽器の性能を加味して新たな表現を加えるのか、演奏者なら絶えず悩まされる難問。

それはひとえに、彼が、彼らが「その時代」に自分の作品が演奏されるという前提の元で作曲したこと、そうして成した技が音楽という芸術の分野では前人未到の高みに到達し、長きを経た現在でも僅かの輝きをも失わない奇跡の所業と言える人類の財産だからでしょうね。
ベートーヴェンやブラームスを始めとするあまたの大芸術家達が大バッハに学び、バッハを取り入れ己の作品を生み出していったように。

まず一番先に考えなければならないのが先にも挙げたデュナーミク。つまりは強弱。

この時代の鍵盤楽器は主にオルガンとチェンバロ。
チェンバロはハープシコードやクラウンザンなど様々な呼び名があるけれど、現在のピアノとはまったく違うメカニズムを持った楽器で、鍵盤楽器でありながらギターのような独特な音がする。
ピアノとの決定的な違いはその発音方法にあって、ピアノは弦をハンマーで叩いて発音するのに対し、チェンバロは弦に引っ掛けられたツメを弾くような発音方法。
つまり強弱がほとんどつけられない。
うなるようなフォルテや、鋭いアクセント、逆に柔らかいピアニッシモなどはチェンバロではいずれも発音不可能。

これはオルガンを見ても同じことが言える。
こちらはパイプに空気を送り込んで発音されるけど、風箱と呼ばれる空気室は基本的に一定の圧力で保たれており、楽曲の中で細かく強弱をつけることは不可能。
つまり、バッハの生きた時代には鍵盤楽器においてフォルテやピアノという概念がなかったのね。

そうした楽器で演奏されることを前提にバッハは鍵盤楽器用の作品を書いた。
もっともこの「主よ、人の望みの喜びよ」は後述するように、もともとはオーケストラを合唱用の作品だから厳密には鍵盤楽器作品ではないけれど、それをピアノで演奏する際、どういった音を思い描くのか。
一方、現在私たちが使用するピアノは非常に繊細な表現が可能になってる。
割れんばかりのフォルテから、消え入りそうなピアニッシモまで、幅広い音量の調節が可能。
バッハやモーツァルトが現在の楽器を用いて作品を書いたら、いったいどんなものが生まれていたのかとっても興味深いところではあるけど、歴史に「たられば」が禁物である以上は、彼らが弾いた音、考えた音を現代のピアノ上で再現するしかない。

これが我々演奏する側がバッハに向き合う際に最初に考える点。

さて、そんなバッハの偉業の中でも、私たちに一番馴染みのある曲がこれじゃないかな。
僕も、一番初めて聴いたバッハがこの曲だった。
余計な派手さや邪念を一切取り払った珠玉の時間芸術っていうのかな、混じりっ気のまったくない極限な透明度の中で、静かにおおらかに、何にも邪魔されることなく、何人にも媚びることなく、自然に流れていく。
当時の音楽は宗教素材を用いた作品が主流だったことを除いたとしても、バッハがこれまでのどの作曲家より神に近い場所で音楽を生み出してきた何よりの証拠なんじゃないかな。

                      
元は合唱曲。カンタータ147番「心を口と行いと生き様は」(Herz und Mund und Tat und Leben)の中の、2つの部分に分かれた各最後(第6曲・第10曲)で演奏される。
旋律自体はさらに前からあって、ヨハン・ショップ(Johann Schop)による4分の4拍子の賛美歌、「我が心、励まん」(Werde munter mein Gemüte(1642))から取られてる。
それをバッハは4分の3拍子に書き改め四声の和声付けをして合唱曲に仕上げたんですね。
原曲にはトランペットが用いられたりしてて、とっても華やかな香りのする重厚なカンタータ。

で、この曲をピアノ曲に編曲したのが、マイラ=ヘス(Myra Hess 1890-1965)っていうイギリスの女性ピアニスト。
H.ファーガソン(1908-1999英・作曲家)によると、1920年のバッハフェスティバルに自身が出演した際、そのリハーサルでロンドン・バッハ合唱団がこの曲を演奏するのを聴いて、その美しさに強く魅せられたのだそう。その後、帰宅してからバッハ協会のスコアを元にピアノ編曲版を作った。
ほどなくして、この編曲を友人に聞かせたり、自身のコンサートのアンコールで取り上げたりしていたのね。
そして1926年、この楽譜を出版するに至った。
ただし、出版に当たって、彼女はかなり渋ったそう。それだけ大切に弾き、愛していたんでしょうね、この曲を。
出版されるとすぐに世界中の演奏家、聴衆に愛好されるようになって、今ではバッハのすべての曲の中でも、最も親しまれる曲のひとつになっていますね。
09:55  |  音楽倉庫  |  EDIT  |  Top↑

2009.04.25 (Sat)

燃える心を(オペラ「椿姫」より)/G.ヴェルディ

燃える心を(オペラ「椿姫」より)
De' miei bollenti spiriti(La Traviata)
G.ヴェルディ テノール/辰巳直弘


http://piano.adam.ne.jp/asx/demiei.asx

椿姫はヴェルディ39歳の時に書かれた第18作目のオペラ。

原名の「La Traviata(ラ・トラヴィアータ)」とは「道を踏み外した女」という意で、直接的には娼婦のことを指すが、日本では主人公ヴィオレッタが椿の花を愛したこと、そしてヴェルディが台本としたアレクサンドル・デュマ・フィスの長編小説「La Dame aux camelias(椿の婦人)」に習って、一般的に「椿姫」と呼ばれている。

主人公のヴィオレッタは華やかな美貌を持つパリ社交界の高級娼婦。
しかし青年アルフレードの真摯な愛に心を動かされ、それまでの生活を捨て彼と一緒になる決意をする。
しかし、世間体を気にするアルフレードの父親によって二人の仲は引き裂かれてしまう。
ヴィオレッタは彼を愛するがゆえに身を引くが、やっと二人の仲が許された時にはヴィオレッタは重い病に冒されておりすでに死が近付いていた、という悲劇。

本アリア「De' miei bollenti spiriti(燃える心を)」は、オペラの第2幕冒頭でアルフレードによって歌われる。
愛するヴィオレッタと夢の同棲生活を始め「あれから3ヶ月、静かな田舎でヴィオレッタは生まれ変わった」と喜びを表す。
この後、アルフレードはヴィオレッタが生活費のために自分の財産を売却していたことを知り、それに気が付かなかった自分と恥じると共に、それらを取り戻そうとパリへ向う。
そこへアルフレードの父親、ジェルモンが登場しヴィオレッタに「息子と別れて欲しい」と頼み、物語は一気へ悲劇の階段を転がり落ちていく。

本アリアはどこまでも幸せに満ちた喜びの謳歌ではあるが、すでにすぐ傍に悲劇、ヴィオレッタとの永遠の別れが迫っていると思うと、この喜びの旋律の中に一抹の悲しみを感じる。

Lunge da lei per
あの人と遠く離れてしまったら
me non v'ha diletto!
僕に喜びはないんだ!
Volaron già tre lune
----もう三ヶ月が過ぎた
Dacché la mia Violetta
僕のヴィオレッタが
Agi per me lasciò, dovizie, amori,
僕のために安息も富も名誉も
E le pompose feste
ちやほやされることも
Ova'gli omaggi avvezza,
(みんな彼女の虜になってしまった・・・)
Vedea schiavo ciascun di sua bellezza
華やかなパーティーも捨ててしまってから----
Ed or contenta in questi ameni luoghi
そして今はこの心地よい場所に満足してくれている
Tutto scorda per me.
僕のためにすべてを忘れてくれる

Qui presso a lei
ここであの人の傍にいると
Io rinascer mi sento,
僕は生き返ったような気持ちになる
E dal soffio d'amor rigenerato
生まれ変わった愛の息吹に触れて
Scordo ne' gaudii suoi tutto il passato.
その喜びで過去を全部忘れてしまうんだ

De' miei bollenti spiriti
僕の燃え上がる想いの
Il giovanile ardore
若々しい熱を
Ella temprò col placido
あの人や癒してくれたんだ
Sorriso dell'amore!
愛の穏やかな笑顔で!
Dal dì che disse: vivere
---あの人が言った日から
Io voglio a te fedel,
「世の中のことを忘れ
Dell'universo immemore
あなたに尽くして生きたいわ
Io vivo quasi in ciel.
まるで天国で暮らしているようだわ」---と。
12:18  |  音楽倉庫  |  EDIT  |  Top↑

2009.04.12 (Sun)

魔王/F.シューベルト テノール/辰巳直弘

魔王/F.シューベルト 詩/ゲーテ
テノール独唱・ピアノ伴奏/辰巳直弘


http://piano.adam.ne.jp/asx/maouuta.asx

Wer reitet so spät durch Nacht und Wind?
こんな嵐の夜遅くに馬を走らせるの誰だ?
Es ist der Vater mit seinem Kind;
それは子供を抱えた父親だ。
Er hat den Knaben wohl in dem Arm;
子供を腕の中に抱え込み
Er faßt ihn sicher, er hält ihn warm.
しっかりと暖かく抱いている。

Mein Shohn, was birgst du so bang dein Gesicht?
「息子よ、どうしてそんなに怖がって顔を隠すのだ?」
Siehst, Vater, du den Erlkönig nicht?
「お父さん、見えないの?魔王がいるのが!
Den Erlenkönig mit Kron' und Schwaif?
王冠をかぶって裾をひいた魔王の姿が見えないの?」
Mein sohn, es ist ein Nebelstreif.
「息子よ、あれは霧がなびいているのだよ」

Du liebes Kind, komm, geh mit mir!
「可愛い坊やよ、おいで、一緒に行こう!
Gar schöne Spiele spiel' ich mit dir;
私と一緒にとても面白い遊びをしようじゃないか。
Manch bunte Blumen sind an dem Strand.
岸辺にはきれいな花がたくさん咲いているし
Meine Mutter hat manch gülden Gewand.
私のお母さんは金色に輝く服をたくさん持ってるいるよ。」

Mein Vater, mein Vater, und hörest du nicht.
「お父さん、お父さん、聞こえないの?
Was Erlenkönig mir leise verspricht?
魔王がそっとささやいているのが。

Sei ruhig bleibe ruhig, mein Kind;
「落ち着いて、じっとしていなさい、息子よ。
In dürren Blättern säuselt der Wind.
あれは枯葉が風にざわめいているのだよ。」

Willst, feiner Knabe, du mit mir geh'n?
「可愛い坊やよ、私と一緒にいかないか?
Meine Töchter sollen dich warten schön;
私の娘たちに世話をさせてあげよう。
Meine Töchter führen den nächtlichen Reih'n,
私の娘たちは真夜中にダンスを踊るの大好きなんだよ。
Und wiegen und tanzen und singen dich ein.
おまえをゆすぶって、歌って踊って、眠らせてくれるよ。」

Mein vater, mein Vater, und siehst du nicht dort
お父さん、お父さん、あそこに見えないの?
Erlkönig Töchter am düstern Ort?
暗いところに魔王の娘たちがいるのが。」

Mein Sohn, mein Sohn, ich seh es genau;
「息子よ、息子、私にはちゃんと見えている。
Es scheinen die alten Weiden so grau.
あれは灰色の柳の老木だよ。」

Ich liebe dich, mich,reizt deine schöne Gestalt;
「私はおまえが大好きなんだ。おまえの美しい姿にはぞくぞくする。
Und bist du nicht willig, so brauch' ich Gewalt.
おまえに来る気がないのなら、力ずくでも連れていくぞ。」

Mein Vater, mein Vater, jetzt faßt er mich an!
「お父さん、お父さん、魔王が今ぼくをつかまえる!
Erlkönig hat mir ein Leids getan!
魔王がぼくに痛いことをしたんだよ!」

Dem Vater grauset's er reitet geschwind,
父親はぞっとして、馬を全速力で走らせる。
Er hält in Armen das ächzende Kind,
あえぐ子供を両腕に抱え
Erreicht den Hof mit Müh' und Not;
やっとの思いで屋敷にたどり着くと
In seinen Armen das Kind war tot.
腕の中で子供は死んでいた。                                 




中学校の教科書で習った方も多いんじゃないかしら。
言わずと知れたシューベルトの歌曲の代表作。
作曲されたのはシューベルト18歳、1815年できわめて短時間で書き上げられた。
シューベルトはどちらかというと推敲を重ねてじっくり作曲するタイプではなく、思うがままに楽想を書き付けていくタイプだったから、まさに彼らしいひらめきと即興性溢れた生き生きとした作品。
それを3回改訂し実際に出版されたのは6年後の1821年。

詩はこちらもご存知の通りヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)によるもので、超自然的な存在である魔王に襲われた子供の死を描写している。
この詩はゲーテによって1782年の歌劇『漁師の娘』(Die Fischerin) の一部として作詞された。

隔絶して有名な曲だから、詩について、魔王については様々な解釈がなされているけど、ここは素直に「危篤状態にある子供の見る幻覚」ということでいいんじゃないかな。
一歩踏み込んで精神世界的に「死神」と解釈してもいいと思うけれど。

さて、とにかく、劇的な曲だし極めて高い演奏効果の上げられる曲ではあるけど、まぁとにかく歌い難く、弾き難い。
特に、伴奏はべらぼうに弾き難い。
どんなに脱力して弾いても、この速さでのオクターブ連打はやっぱり至難の業。
メゾフォルテかメゾピアノあたりでアバウトに弾いていいなら話はまた別だけど、至る所に強烈なアクセントやフォルテが顔を出すから、もうたまったもんじゃない。

伴奏を制作にするにあたって、当然、一発録りなんかできず・・・。
何度も弾き間違いながらも、とにかくとにかく繋げつつで制作。

歌もそれなりに歌いにくい。
まず4人の登場人物ってのがやっかい。
演奏効果を上げる意味で一番理想的なのは、もちろん4人に分けて歌うことだと思うし、語り(バリトン)、父親(バリトン)、子供(テノール)、魔王(バス、バリトン)なんて配役でやればきっとすごくダイナミックな情景が浮かび上がってくる。
けれど、あくまでも1曲のリートという意味では一人で歌わなきゃならない。
ぼくはテノールだから、子供のパートはいつもの調子で少し軽めに歌ってやればおっけー。
けれど他の3パートは当然、声質を変えてやる必要がある。
で、声質を変えて太く声を作ると、今度子供のパートになったときに、うまく声が抜けないんですよね・・・。
軽く作れない。

あとやっかいなのは魔王。
魔王というぐらいだから、恐ろしく低くドスの効いた声で!といきたいところだけど、シューベルトの要求はまったく逆。
一回目の魔王登場、「Du liebes Kind, komm, geh mit mir!」のフレーズ、ソロパートには特に指示がないものの、伴奏ピアノ部分になんとまぁ、ピアニシッシモ(ppp)の指示がある。
つまりシューベルトの望む魔王像ってのは、力ずくで子供を脅し連れ去るものではなく、甘く誘惑に満ちた声で子供を惑わす様相を要求。

楽器と違って、声でpppを表現ってのは、歌う側からするとむちゃくちゃイヤなもんなんですね。
弱めれば弱めるほど、響きは取りにくくなるし、発音や息の使い方だって難しくなる。
ただ弱くってならいいけど、あくまでも声楽曲である以上は、いかに弱くしてもある一定の響きを維持しておかないとダメだから。
2回目の魔王登場も同じく伴奏部分にppp。
3回目の登場でようやくppになり、子供を連れ去るその瞬間に始めて伴奏パートにffが出てくる。

というわけで、久しく現場から離れてしまっているぼくには、その辺りのコントロールは無理でした(泣
とりあえず雰囲気だけってことでご勘弁いただけると有難いです(汗
04:19  |  音楽倉庫  |  EDIT  |  Top↑

2009.04.10 (Fri)

ます/F.シューベルト テノール/辰巳直弘

ます/F.シューベルト テノール・ピアノ/辰巳直弘
Die Forelle op.32(D550) F.P.Schubert


http://piano.adam.ne.jp/asx/forelle.asx

「釣り針を持って誘惑する男たちに注意しなさい!
さもないと後で後悔することになりますよ!」

シューベルト20歳、1817年に作曲された歌曲。
教科書や着信メロディー、電話の保留音など我々の日常生活の中であらゆる場所で耳にする極めて親しみやすい旋律が特徴のシューベルトの代表作。
シューベルトお馴染みの三節(三番)からなるシュトローフェンリート(有節歌曲)であるが、第三節が大幅に変奏されており、これもシューベルトの歌曲の特徴の一つ。

作詞は詩人であり音楽家でもあったシューバルト(Schubart, Cristian Friedrich Daniel 1739-91)によるもので、ズル賢い漁師が罠を使って魚を吊り上げるさまを歌った四節の詩。
しかし実際には、「男はこのようにして女をたぶらかすものだから、若いお嬢さんは気をつけなさい」という意味を含む寓意となっている。
しかしシューベルトは第四節にあったこの直接的な表現を削除して作曲した。

なおこの2年後に作曲されるピアノ五重奏曲「ます」(D667)では第4楽章にこの歌曲を主題とした変奏曲が置かれている。
さらに作品全体の主要な主題も、この歌曲を素材として用いている。

この曲は5つの稿が存在し、そのうち第4稿が友人のヨゼフ・ヒュッテンブエンナーに捧げられている。
シューベルトはこの曲をヒュッテンブエンナー兄アンゼルムのうちで夜中の12時に書き上げたが、寝ぼけて楽譜の上にインクをこぼしてしまったエピソードが、ヒュッテンブレンナーへのシューベルトの手紙に見える。
なおこの楽譜は、1870年のファクシミリで残されているが、その直後に紛失しており現存しない。

In einem Bächlein helle
済んだ小川で
Da schoß in froher Eil
さっと軽やかに
Die launische Forelle
気まぐれなますが
Vorüber wie ein Pfeil.
矢のように泳いでいる

Ich stand an dem Gestade
ぼくは岸辺に立って
Und sah in süßer Ruh
のんびりと穏やかな気分で眺めていた
Des muntern Fischleins Bade
元気なますが
Im klaren Bächlein zu.
美しい水の中を泳ぐのを

Ein Fischer mit der Rute
そこへ一人の漁師が釣竿を手して
Wohl an dem Ufer stand,
川辺に立った
Und sah's mit kaltem Blute,
そして冷たい眼差しで
Wie sich das Fischlein wand.
泳ぎ回るますの様子を眺めていた

So lang dem Wasser Helle,
水がこんなに透き通っている間は・・・
So dacht ich, nicht gebricht,
と、ぼくは心の中で思った
So fängt er die Forelle
まさかますが釣り針に
Mit seiner Angel nicht.
かかることなどないだろう、と。

Doch endlich ward dem Diebe
しかしとうとうその泥棒は
Die Zeit zu lang. Er macht
我慢が出来なくなって
Das Bächlein tückisch trübe,
小川をずる賢くかき回し濁らせた
Und eh ich es gedacht,
そしてぼくが考えている間もなく
So zuckte seine Rute,
釣竿がぐっとしなって
Das Fischlein zappelt dran,
かかった魚は跳ね回った

Und ich mit regem Blute
ぼくはムカッっと腹を立てながら
Sah die Betrog'ne an.
だまされた魚をじっと見つめていた


なお、原詩にはこの後に

Der sicheren Jugend weilt,
青春の黄金の泉のもとにいるあなたがた
Denkt doch an die Forelle,
マスのことを考えなさい
Seht ihr Gefahr, so eilt!
危険に出会ったら落ち着いてはいられない
Meist fehlt ihr nur aus Mangel
あなた方にはたいてい用心深さが欠けている
der Klugheit, Mädchen, seht
娘たちよ、見なさい。
Verführer mit der Angel!
釣り針を持って誘惑する男達を!
Sonst blutet ihr zu spät!
さもないと後で後悔するぞ!

と続いているが、シューベルトは賢明にこの部分を削除して作曲した。

釣り針を持って誘惑する男たちに注意しなさい。
さもないと痛い目に遭うぞ!か。

今も昔も一緒なんですね(笑)
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