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2010.08.10 (Tue)

原爆65回忌に寄せて~核廃絶は可能か

65年前の8月6日、広島に原子爆弾が落とされ、そして昨日、長崎に原子爆弾が落とされた。
広島への原爆は地上約580mという比較的高い位置で炸裂し、瞬間的に摂氏1,000,000度の火の玉となった。
地上には火球の出現と同時に摂氏6,000℃の熱線が降り注ぎ、爆心地のすぐそばにいた人は、影だけを残して跡形もなく溶けてしまった。

爆風の威力は中心地で瞬間最大風速300mを超えていたと推測され、これは戦後最大の災害であり死者・行方不明者5,000人を出した伊勢湾台風の5倍にあたる。
猛烈な爆風に曝された人という人、建物という建物はすべて破壊されなぎ倒され、跡形もなく消え去ってしまった。
かろうじて一次被爆を免れた人も、ウランやプルトニウムが分裂して生み出された放射性物質により次々と細胞を侵され、一人、また一人と血を吐いて死んでいった。
このたった二発の爆弾で命を奪われた人は、広島、長崎合わせて260,000人にものぼる。

菅首相のおっしゃる「核の抑止力」
日本は有史以来、最初で最後の核兵器の犠牲となった国家でもあり、その痛みを胸に、世界に先駆けて非核化を唱えてきた「大人」な国家でもある。
非核三原則を詠うのは、世界でその痛みを知っている唯一の国家であり、また、この世から核を廃絶したいという願い---いや叫びと言うべきか---を心の底から願っている世界でただ一つの国家であるが故だ。

近年、北朝鮮が核武装をした。
兵器としてはまだまだ稚拙であると思われるが、仮想敵国でもある我が国は確実にその標的であると思わなければならない。
98年に行なわれた北朝鮮による弾道ミサイル発射実験以降、我が国でもミサイル防衛に関しては随分と力を注いできたし、日米の最新鋭イージス艦が常に不測の事態に備え、地上からの迎撃を行なうパトリオットミサイルは、現在も着々と配備が進められている。

しかしながら、核兵器を含め、あらゆる兵器やシステムで100%有効な手段というものは元々存在しない。
ミサイル迎撃システムの信頼性、成功率は随分と向上してはいるが、それでも「絶対安全」とは決して言えず、万が一迎撃に失敗した場合や、飛来するミサイルが複数、あるいは飽和攻撃であった場合、たった一発でも防衛線を突破しようものなら現代の核兵器の威力からすれば東京都が跡形もなく消失し、一瞬にして130万人の命が奪われるような最悪のシナリオも考えなければならない。
しからばと、核弾頭が発射される前に先制攻撃を加え、相手の発射能力を奪えば良いようなものだが、これは我が国の憲法上、もっとも実現の可能性が低い選択だ。

そこで持ち上がるのが「核の相互抑止力」だ。
これは簡単に言えば「核を使用したらこちらも核を使用しますよ」という脅迫の突きつけ合いで、それゆえ「核を持っていれば核を撃たれることはない」といった至極単純な考えだ。
しかしながら、この脅迫が実効性を持つためには、核攻撃を受けた際に100%の確率で核報復を行なえるシステムを備えていなければならない。
そのもっとも有効な手段が、現代においてはすなわち「戦略ミサイル原子力潜水艦」だ。

この戦略ミサイル原潜の任務は「誰にも見つからない深海でじっと息を凝らして待機し、万が一自国に核攻撃が行なわれた際には躊躇なく海底から核ミサイルを撃ち返す」というものである。
任務の性質上、原潜の場所やミッション内容が第三者に知られてしまっては意味を成さないため、当然、その任務は極秘中の極秘で行なわれ、家族はおろか乗組員自身でさえも一部の人間を除いてその行き先を知らされないほどである。
その他、基地からのミサイル発射や洋上からの巡航ミサイルによる発射なども少ないながらに配備されている。

つまり、核攻撃を行なった上で、自国は核による報復を免れようとするならば、そうした核の発射拠点を一つ残らず排除し、撃ち返される危険を限りなく0に近づけた上で核攻撃を行なわなければならない。

しかしこれは事実上は不可能に近い。
敵の核発射拠点は様々な地域に点在し、中には移動式のものも存在するし、しかも、それらの拠点のどこか一つでも残してしまうと、そこから核攻撃が行なわれる可能性が高いからだ。
つまり、地上からの核攻撃能力を完全に奪うには、すべての攻撃拠点を「同時に」壊滅させる必要がある。
しかしながら、仮にこれらの施設をすべて同時に壊滅させることができたとしても、深海に潜むレーダーでも補足できない戦略原潜をすべて見つけ出しこれを壊滅することはほぼ不可能。

つまり、核を持った国の核報復能力を奪うことは、敗戦間際の疲弊した国家を除いては絶対にできない。
だから、撃つと必ず撃ち返される。
ゆえに、持っているだけで、実際には運用できる状態にしておくだけで、核の脅威からは開放される。
これが「核の相互抑止力」を呼ばれる原理だ。

日本は現在、独自には核の抑止力を持っていない。
米軍が運用する核の抑止力に頼っており、これが「核の傘」と呼ばれている。
日本が核攻撃にさらされた場合、米軍が代わりに核による報復を行なってくれる、だろう。
だから日本が核にさらされることはない、だろう、というものだ。

菅総理の発言は、この「核の傘」の必要性に言及したものであるが、現実を見れば確かに日本は米軍の核の傘の元で守られているといっても過言ではない。
しかしながら冒頭で述べたように、核による痛み知っている世界で唯一の国家である日本のリーダーが、間接的にでも「核は必要だ」と発言することにはどうしても感心できない。

核の廃絶は人類がもっとも頭を悩ませる問題となるであろうし、人間は一度手にした魔法を、そう簡単に手放すほど素直でもない。
さらに、戦後、核のあり方は「国家対国家」という図式であったが、近年は「国家対テロリスト」という図式に移り変わっており、撃つなら撃つ返すという脅迫も通用しない時代に差し掛かっている。
テロリストは「国家」を持たないこと、そして「聖戦による死」を恐れていないからだ。

一昨日もイラクでテロが発生し、60名以上の尊い命が奪われた。
もし彼らが核を手にしたとすれば、おそらく迷うことなくそのスイッチに力を込めることであろう。
その時、アメリカは報復の発射口を、一体どこに向ければよいのか。
これはアメリカが今もっとも恐れていることの一つでもあり、北朝鮮に対して「テロリストに核を渡したら、貴国が地球上から消滅すると思ってもらいたい」という強い一言にも見て取れる。

地球上から核による脅威を無くすには、大きく分けて二つ。
一つはすべての核保有国、核開発国が一斉にすべての核兵器を凍結すること。
たった一隻の原潜も決して残してはいけない。
もしたった一隻原潜を残したとすれば、その瞬間よりその国家が地球上で唯一無二の最強権力を持った国家となるからだ。
果たして、人類がこの誘惑に打ち勝つことができるであろうか。
そして今なお、喉から手が出るほど核を欲しがっているあまたの国が、こうした核凍結に正直に賛同するか。
核は捨てましたと表で握手を交わしながら、密かに深海深くに原潜を沈めている国があれば、そこに神に次ぐ権力が生まれてしまうというこのリスクを、人類はどうやってクリアするのか。

もう一つの方法は、核攻撃能力を持ったすべてのシステムがそれぞれの国家から独立し、国連ないし、多国籍軍の管轄化に置かれること。

その昔、日本も幾多の国に分かれて血みどろの争いを繰り広げてきた。
古くは弥生時代に形成された集落から国、平家と源氏、幕府軍と明治新政府、さらには人壬申の乱のような皇族同士が争った歴史されも我々は経験してきた。
そうした争いの歴史を経て、2000年かけてようやく我々の国家は「日本」というコミュニティーに成長し、軍隊をその管轄化に置くことができた。
自衛隊が軍隊であるか否かの議論はここでは行なわないが、自衛隊を運用することができるのは政府であり、自衛隊の運用方法を決めるのは国民の選挙を経て信託を受けた国会である。

今世界には200を超える国家が存在している。
それぞれが異なった歴史を歩み、様々な思想を持ち、千差万別な価値観を持っている。
けれど、私はそうした国の一つ一つが、揺るがぬ信念とたゆまぬ努力を持って、いつの日か地球という一つのコミュニティーとして統一され、国連という唯一政府によって統治されていく日を心から願うと同時に、そのためにこの小さな自分に何ができるのかを常に自問していかなければならないとも思う。

同じ日本人同士、どうして血を流すのか、同じ民族同士、どうして争うのか。
そうした疑問がこの国を2000年かけて統一に導いていったのであれば、同じ人間同士、同じ地球人同士であれば、いつの日か「世界」という一つのコミュニティーとして成熟していくことも可能なのではなかろうか。
ムラがクニになり、国が国家となり、国家が地球という国家になる。
そうした道を辿っていけば、核の廃絶も、恒久的な世界平和も、とてつもなく厳しい道のりではあろうが、人類は必ず成し遂げるものとぼくは信じたい。


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