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2006.08.15 (Tue)

終戦記念日に寄せて2006

人でごった返す九段坂を、汗を拭うことも忘れ必死の思いで登りきる。
そこで大きく一息つき、靖国神社と書かれた石柱ごしに空を眺めると、それまで重く空気を携えて暗く閉ざされていた空が、まるで僕の訪れを三十一年もの長きに渡り待ち焦がれていたかのようにさっと開ける。
煌々と照りつける太陽が姿を現し、きっとあの時もそうであったであろう、僕の体から水分も、歩く勇気も奪い去っていくかのよう思われてならない。
彼らはその太陽の下でありったけの汗と血と涙を捧げ散華し、ここ靖国の柱となったが、僕は今こうして生きてこの鳥居をくぐる。
あれから六十一年の月日が流れた。

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日本国民が玉音に耳を傾けたあの日から今日でちょうど61年目。
ようやく僕は、念願だった終戦記念日の靖国神社に立つことができました。

僕がまだ二十歳だった頃、ちょうど戦後50周年を迎え、新聞やテレビでその言葉大きく報道されていたことが記憶に新しいのに、あれからもう11年。
今や戦争を知る世代の人々は少なくなってきました。

ある時ね、レッスン中にふと戦争の話になったの。
生徒は高校生の女の子なんだけどね、こんな風に話してた。
「戦争のこととか、うちよう知らんもん。おじいちゃんが生きてた時、何かある度に戦争、戦争ってうるさかったのは覚えてるけどどぉー。」

仕方ないといえば仕方ないけれど、とても悲しい。
だから僕は普段レッスンで怒るより、ずっと厳しく怒った。
「おじいちゃんが戦争に行ったのは、一体誰のためだったの?
そして250万とも言われる戦争で死んでいった人々は、一体何のために、誰のために死んでいったの?
天皇陛下のため、皇国のためと言うけれど、その皇国の向こうには何があるの?
間違いなく君や僕や、これから先、この国に生まれ生きていく未来の人たちのためだったんじゃないの?
彼らが戦争に行き、そこで死んでしまったのは、子孫である僕らを守り、生かし導くために、自らの命を賭して戦い、そして散っていったんじゃないの?
僕らのためじゃなかったの?」
それを聞いて彼女はうつむいたままだった。
僕は少し安心した。

靖国神社はほんとにすごい人出だった。
今日読んだ新聞によると、過去最高の25万人の参拝客が訪れたらしいですね。
もちろん小泉効果もあってのことだろうけど、でも、参道を歩きながら少し嬉しかった。
何故って、これだけの人がまだ戦争の記憶を忘れずに、私たちのために死んでいった多くの人々に思いを馳せているのだもの。

参道を歩いていると様々な人に出会う。
例えば、午前中の小泉さんの参拝を評価する団体が演説をしてる。
かと思えば、反対側には「小泉参拝断固反対」って横断幕を掲げる団体が演説を行っていたりする。
でね、そのまま通りすぎようとしたら、双方の団体の若者、20代後半ぐらいかなぁ、言い争いを始めたのね。
喧嘩はよくないけれど、こうやって戦争について、私たちの今あるべき姿について熱く語れることは素晴らしいと思った。
これが本来のあるべき姿なんだろうなって。
戦争について、戦争で死んでいった人々に対して「考える・想う」ことをやめないことが一番大切なんだって。

去年もそうしたように、今年も戦争で死んでいった若者の最後の手紙をいくつか引用しておきますね。
今の20歳の若者に、果たしてこんな文章が書けるだろうか。
いや、31歳になった僕にだってこんな文章は書けない。
三島由紀夫が自殺の一週間前、英霊の残した遺書を読んで「俺にはこんな文章は書けない。俺は命を賭けて文章を書いていない」と号泣した話は去年もしたけれど、本当の意味で、命を賭して書かれた文章を皆さんにも是非目を通していただけたらなと思います。

お母さん さよなら

海軍大尉 林市造 命 昭和20年4月12日
南西諸島方面にて戦死
福岡県宗像郡赤間町出身
京都帝國大學 海軍第14期飛行科予備学生23歳

一足さきに天国に参ります。
天国に入れてもらえますかしら。
お母さん祈つて下さい。
お母さんが来られるところへ行かなくては、たまらないですから。
お母さん。さよなら。

林市造さんの母マツヘさんの手記
泰平の世なら市造は、嫁や子供があつて、おだやかな家庭の主人になつていたでしょう。
けれども、国をあげて戦つていたときに生まれ合わせたのが運命です。
日本に生まれた以上、 その母国が、危うくなつた時、腕をこまねいて、見ていることは、できません。
そのときは、 やはり出られる者が出て防がねばなりません。  

 一億の人を救ふはこの道と    
  母をもおきて君は征きけり


(靖国神社英霊の言の葉集より)



今ぞペンを捨て銃を執る

陸軍曹長 池田雄 命
昭和20年7月2日
比島中部ルソン島にて戦死
山口県酒田市東中の口町出身 23歳
昭和18年9月26日

学徒出陣する時は終に来た 徴兵猶予の停止
文科系系統の学校の閉鎖 来るべきものが終に来たのだ
吾等はペンを捨て学業中ばにして銃を持つ
愛する祖國のために戦わねばならぬ
深海の底のやうな静けさだ
さうだ総ての過去を清算して真の逞き日本男児となり
永遠の将来に生きねばならない
自分一個の肉体は一時的かも知らないが
自分の霊魂は人類平和を目標とする
正しき民族精神の中に永遠に生きることであらう

 國破れて学問なし 美しき祖國の山河なし
 吾等学徒の立つべきときは今ぞ!!

さうして敵と生死の一戦をまじえ断じてゝて勝たねばならぬ
死ぬ前に心残りなく故郷の空に山に河に海に遊びまはつてよく見て居かう
俺の苦しいにつけ楽しいにつけ 黙示のうちに慰め励ましてくれた大自然だ
俺を清く正しく大きく育て上げてくれた
美しきあの山 あの河を!!

(後畧・靖国神社英霊の言の葉集より)
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